今月の法話

[0028] 願いに生きる (2010/03/02)


修証義第三章 受戒入位
第十五節

次には応に三聚浄戒を受け奉るべし、
第一摂律儀戒、第二摂善法戒、第三摂衆生戒なり、
次には応に十重禁戒を受け奉るべし、
第一不殺生戒、第二不偸盗戒、第三不邪淫戒、
第四不妄語戒、第五不酤酒戒、第六不説過戒、
第七不自讃毀佗戒、第八不慳法財戒、第九不瞋恚戒、
第十不謗三宝戒なり、
上来三帰、三聚浄戒、十重禁戒、
是れ諸仏の受持したまふ所なり。


 前回「仏の慈悲に誘われて生きる」と言うことをもうしました。

 御仏の御命を授かって活かされている私たちの命の中身を分析してみますと、自らコントロールしにくい本能と無限に広がる欲望の固まりであります。
 地球上の生き物は皆其の性質は異なっても本能をもって活かされています。
 人間も同じ生物であっても人間以外の動物や植物は、本能の赴くままに性欲も食欲も自然のままに生きます。
 例えばライオンはお腹がすけば本能的に他の動物を捕らえて食します。しかしお腹が一杯になりますと、自分の捕らえた獲物でも仲間が食べようが、禿鷹が食べようが、ハイエナが食べようが「其れは俺が獲った獲物のだから」等と言わないし、沢山獲って売りつけようとか金儲けをしようなどとは考えないでしょう。欲望も自然のなすままなのです。

 ところが人間の欲望は際限なく拡大していくのです。此の欲望が人間の生きる活力となり進歩も発展もする元となる一方、旺盛な欲望は煩悩と化し人間を苦しめるのです。
 ですから修証義第二章懺悔滅罪において 「我昔より造れる所の諸の悪業は、皆無始の貪瞋癡に由りて、身と口と意よりの生みものなり、一切我今皆懺悔したてまつる」と懺悔を促されていることを再確認したいのです。

 前節では森羅万象と一切衆生と我とが感応道交して生きる生き方を教示されていました。是を踏まえて「三聚浄戒と十重禁戒を受け奉るべし」と教示されています。是を禁欲的な戒めとして受けとめますと窮屈なものを感じますが、如来の御命を授かって活かされているのだと受けとめて、その授けられた私の命として頂く時、私と如来の約束事として受けとめて参りますと、素直に受け入れられるように思います。
 第一摂律儀戒―清浄の心をもって一切の不善をなさない。第二摂善法戒―清浄の心をもって一切の善行にはげまん。第三摂衆生戒―清浄の心をもって世のためにつくさん。と言う誓願に生きることを示唆されています。
 第一不殺生戒―生きとし生けるものの生命を大切にしなければならない。第二不偸盗戒―盗みや不正を犯してはならない。第三不邪淫戒―夫婦の道を乱してはならない。第四不妄語戒―うそ偽りを言ってはならない。第五不酤酒戒―迷いの酒や思想に溺れてはならない。第六不説過戒―他人の過ちをいいふらしてはならない。第七不自讃毀佗戒―おのれの自慢、ひとの悪口をいってはならない。第八不慳法財戒―物でも心でも、与えることを惜しんではならない。第九不瞋恚戒―激しい怒りで自分を見失ってはならない。第十不謗三宝戒―釈尊の教えを疑ってはならない。

 いま自分が活かされていると言うことを深く考えなければなりません。私たちはどうしても自分を中心に物事を考えがちです。
 此処に示されていることは、折角授かった人生を無為に過ごすことなく人間として少なくとも、三つの誓願をもって生きることを示唆されています。十重禁戒は一切衆生と私が一体となった生き方、社会と自分が関わりなくしてあり得ない、基本的な自分の生き方を示唆されていると思います。

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