今月の法話

[0030] 歴世の人 歴世の孫 (2011/02/25)


 先般十月十七日、禅昌寺檀信徒並びに有縁の皆様に正式に住職として迎えられ、歴代住職の仲間入りをさせていただきました。これは私にとりましても、禅昌寺にとりましても誠に有難い勝縁であります。禅昌寺開創以来約四〇〇年間に二十三人の住職が居られ、私で二十四人目となります。私から言えばこれまでの住職二十三人を「歴世の人」(歴代の住職)といい、私自身は「歴世の孫(次世代)」ということになります。第二十三世正賢和尚は言うまでもなく、歴代の住職お一人お一人が、その時々のお檀家様や信者様と共に歩まれた仏の道を思うとき、その重みを感じます。また、禅昌寺と、そこにあるお釈迦様の御教え(仏法)が、歴世の人から歴世の孫へと継承されてきたことを思うとき、敦い恩義を感じます。
 当山の西堂(住職の後見・指導役)である今村源宗老師(大本山總持寺祖院監院)は、十月十六日に行われた、ご開山さまと歴代住職さまへの報恩法要で、次の漢詩をお読みになり、正にその事をお示しでありました。
 

見歴世人歴世孫
   (歴世の人を見る歴世の孫)
日光山裏恩義敦
   (日光山裏恩義敦し)
風吹玉露爽秋氣
   (風は玉露を吹いて秋氣爽やかに)
雲起林巒蔭後昆
   (雲は林巒に起こって後昆を蔭う)

「意訳」
歴代の住職を見て、次世代は学び育つ
そうした日光山(禅昌寺)における恩義は敦い
風は玉露(露のような一世代)を吹いて、秋の気配が爽やかだ
雲(世代を務める禅僧)は、林に育つ木のように断ち切れず続いて起こり、後の世(次世代)をたすけ護だろう。


 このお示しは、晋山式が行われたことを顕す為に、本堂正面に建てられた角塔婆にも記されておりますが、一世代の住職を務める重みと責任を深く伝えていると感じました。一世代の住職を務めると言うことは、この禅昌寺とお釈迦様の御教えを次世代に継承していくという既に三九五年間続いている大行持であります。これが継続され、またされていくということは、住職独りのなせることではありません。お檀家さま信者さまあっての継続であり大行持であります。
 私は、この大行持を皆様と共に修行する喜びを皆様と共に味わいたく、より一層精進努力していきたいと思います。

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