今月の法話

[0002] 「一期一会大因縁」 (2003/09/03)


仏教では因縁因果縁起の道理を説きます。物事には必ず原因があって縁を得て結果が現れる。
人生は原因・縁起・結果の連続と言って良いでしょう。今自分があると言う事は、遠い祖先以来の結果としての存在であると同時に、今の自分の営みは遠い未来の縁起でも有ることは申すまでもないでしょう。
人生は因縁(相互依存)によって生かされると申しますが、正にその通りである事を自覚いたします。誰でも自身の人生を省みる時、親子兄弟夫婦の因縁とその存在は申すまでも有りませんが、あの人この人、あの事この事と出会いがなければ、今の自分は考えられないと言うことが、数え切れないほどある事でしょう。
自身の人生を振り返ってみる時、この方と出会っていなければ、今の己は考えられないと言う、私の人生にとって大事な方々がおられます。
中でも建築家、村上和一様との出会いは、個人的にも禅昌寺に取りましても一期一会の大因縁に結ばれたと言うことです。私が禅昌寺に住職した時、寺はまだ薬研堀にあり、被爆直後に建てられた仮設の建物でしたから、それを復興することは使命的なものを感じて取り組みました。その後自分でも想像もしなかった不思議な巡り合わせで、戦災復興を含めて四度伽藍の建築に関わりました。
最初の建築は27歳の時、薬研堀から戸坂町くるめ木への移転復興でした。この時の建築家は私の選択した業者では有りませんが、建築に当たりこのように申しました。「今の建物の減価償却は、鉄筋で30年、木造で20年ですよ。」と言いながら建築に携わりました。
禅昌寺23代目の住職として伽藍の復興に携わる一大事因縁に重い使命感を感じておりましたから、業者のその言に、激しい憤りを感じながら、若輩の自分の思うように行かない歯がゆさから「ヱエイ・・勝手にしろ俺は何れ建て替えてヤル!」と心で叫んだのです。とは申しながら、具体的な思いも計画の立てようも無かったのですが、不思議なことにそれから、15年後に現在の地に再度移転するご縁に巡り合って、村上和一さんというすばらしい建築家と出会ったのです。
村上さんは禅昌寺の伽藍建築に当たって、この様に申されました。
「寺に十分な金が無いけー言うて、ええ加減な建築はできゃんせんけェーのー」
「おっつけ我しゃー死にゃんすけェーのー、寺は300年・500年先まで残りゃんすけェーのー、後世の者に昭和時代の建築家はと笑われて、寺に金が無かったから仕方が無かった等と、言い訳はできゃんせんけェーのー」と。
又この様にも申されました。
「寺を建てるために求めた材木は寺になる因縁を持って生まれた物だから、一寸たりとも無駄には出来ぬ。」と言われながら建築に携われました。
同じ建築家でも一つの出会いを消耗品的に出会っていく人と、今の出会いが自分の死後、何百年の後までも恥をかきたくないという、永続的な願いに今を生きる、仏教の生き方を見ました。
村上さんは、2001年5月14日に80歳を一期に逝去されました。村上さんは禅昌寺の伽藍やその材料に出会った大満足を残して行かれたことでしょう。
慈恩に報いることを祈って止みません。
一期一会大因縁を得て生かされているお互いは、森羅万象畢竟自己と言う真実を考察したいものです。

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