本堂前庭の敷石改修工事が始まりました!!
- 2018年09月3日
- 最新情報
今夏の酷暑も次第に和らぎ始め、清々しい秋の訪れを心待ちにする季節となりました!! 当山においても、お盆法要からお彼岸法要に至るまでの間、現在一段落ついている状況です。この期間を利用して、以前より検討されていた本堂前庭(山門から本堂および玄関へと続く)敷石の改修工事を実施しております。※以下の写真をご覧ください。
皆様方には、ほんの少しの間ご迷惑をお掛け致しますが、何卒ご了承のほど、宜しくお願い致します。
合掌
今夏の酷暑も次第に和らぎ始め、清々しい秋の訪れを心待ちにする季節となりました!! 当山においても、お盆法要からお彼岸法要に至るまでの間、現在一段落ついている状況です。この期間を利用して、以前より検討されていた本堂前庭(山門から本堂および玄関へと続く)敷石の改修工事を実施しております。※以下の写真をご覧ください。
皆様方には、ほんの少しの間ご迷惑をお掛け致しますが、何卒ご了承のほど、宜しくお願い致します。
合掌
「お盆」を迎える前に、皆様にぜひ知っておいて頂きたい言葉として、「施食(せじき)= 別の呼び方では、お施餓鬼(せがき)」がございます。つまり「施食」とは「餓鬼に施す」という意味に通じます。
※「餓鬼(がき)= 生前の悪行の報いによって、六道(天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)の一つである ” 餓鬼道(がきどう)” に堕ちた亡者のことを云います。
この餓鬼道に堕ちて苦しんでいる無縁仏様を供養する法要が施食会(せじきえ)です。当山では、ご先祖さまの霊を供養するお盆の法要と合わせて、例年『盂蘭盆施食会(うらぼんせじきえ)法要』として執り行わせていただいております。
曹洞宗をはじめとする禅宗では、「生飯(さば)」という施食作法があり、これは食事のときに七粒ほどの米粒を供養するもので、これにより供養されない亡者(もうじゃ)や、生前に犯した罪によって飢え苦しむ餓鬼道に堕ちた仏様に施す作法です。もし宜しければ、頭の片隅にでも入れておいてください。
上記の内容を踏まえて...この度の本題に移りますが、さて皆さん「食品ロス」という言葉をご存じですか?
まだ食べられるのに廃棄されてしまう(無駄にする=ロスする)食品のことを言います。日本では、年間646万トンもの食品ロスがあると推計されています。国民一人あたり、毎日お茶腕1杯分のご飯が食べられずに捨てられている計算になるそうです。※今もなお、8億1500万人(世界人口の9人に1人)が飢餓で苦しんでいる状況にも関わらずです。
例えば、皆さんも宴会でお開きになり席を立つ時に、食べきれずに残された料理を目にして「もったいない」と感じたことがありませんか?これらも食品ロスに当たります。そんな食べ残される料理をできるだけ減らすのを目的に、地方のある自治体では数年前から「30・10(さんまる・いちまる)運動」という取り組みが行われています。宴会の乾杯から30分間はお酌などで席を立たずにまずは料理を楽しみ、そしてお開きの10分前には自分の席に戻り残った料理をいただきましょう!と呼びかける運動です。
※因みに、現在世界共通言語となった「MOTTAINAI(もったいない)」の語源は、そもそも仏教に由来しています。
以下、<ウィキペディア(フリー百科事典リンク)より引用開始>
もったいない(勿体無い)とは、仏教用語の「物体(もったい)」の消失を意味するものであり、物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表しています。元来、「不都合である」、「かたじけない」などの意味で使用されていた言葉が転じて、現在では、一般的に「物の価値を十分に活かし切れておらず、無駄になっている」状態やそのような状態にしてしまう行為を戒める意味で使用されています。<引用終了>
日頃から食事は必要な分だけ用意し、それを残さずいただくことが大切です。万物(食べ物一つ一つ)の命をいただいて、自分の生命が成り立っていることをしっかりと受け止め、食べ物を粗末にしないように心掛けて参りましょう!!
それでは、手と手を合わせて「いただきます!」
合掌
暑中お見舞い申し上げます。
本年8月6日に毎年恒例の盂蘭盆施食会法要を下記の通り厳かに執り行いました。
お暑い中、多くの方にご参拝頂き、関係者一同大変感謝致します。
時節柄、くれぐれもご自愛ください。
合掌
今般、西日本全土を襲った記録的豪雨により被災されたご家族、縁故者の皆様に心よりお見舞いを申し上げますと共に、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。
なお、当山近隣の山林土砂流出により、一時的に通行道路が埋まっておりましたが、町内会の方々やボランティアの皆様のご支援によって、早急に対処復旧いたしました。
また、この度の豪雨によって当霊園内2箇所で陥没がございましたが、今のところ大きな被害は確認されておりません。これは偏に皆様のご協力の賜物と深く感謝いたしております。
合掌
ご近所の有志の方のご厚意により、当山本堂前の花壇に紫陽花を植栽して頂きました。 ご覧の通り、お庭がカラフルな色彩で彩られ、お参りに来られ方々の憩いの場になります。(^v^)/
※現在は、全てのお花を各々鉢植えから出して、直接花壇に植えて頂いています。
どうもありがとうございました!!
合掌
今回は音楽のお話しです。私はアメリカで布教活動をしておりました時に、ジャズを聞くご縁を頂いたことがあります。
ジャズは、ピアノ・トランペット・ドラム・ベースなど色々な楽器の演奏者が、それぞれお互いの個性と特徴を尊重し合いながら、お互いの個性や特徴が活かされるように演奏されます。そして、一つの素晴らしい音楽を作り出すのです。誰か一人が自分だけを強調した演奏をしたら、それは音楽として一つにはなりません。そして、聞いている方も、演奏者の誰がどこでエゴ、即ち自我を出したかということを感じることが出来るのです。ジャズミュージシャンの才能は、その自我に酔いしれるか、それとも自我であると気づくかによって決まるようにも思います。よく「ジャズはどこで拍手していいか分からない」という事を聞きますが、バンドの全員が、互いを尊重し、皆が活かされ、一つになった時、観客は一番大きな拍手を送るのです。
このジャズから私たちは多くを学べると思います。
その一つは、人それぞれの個性や特徴が活かされるためには、他の個性や特徴を尊重しなければならないということ。
次に、それぞれの演奏者がお互いの個性や特徴をもって演奏し、なおかつ一つの素晴らしい音楽を生み出すには、その中心になるものが必要であるということ。ジャズにおいてその中心となるのは楽譜です。
個性の強い人達が集まって、様々な楽器を演奏するのですから、楽譜通りには行きません。右に行ったり左にそれたり、それがジャズの味わいとなって一つの素晴らしい楽曲となり、楽譜が有るお陰で、大きく道を外すことはないのです。
我々の人生におけるこの楽譜がお釈迦様の御教えだと思うのです。
禅昌泰賢
本日、季節の移り変わりに伴い、本堂の模様替え(畳敷き→板張り)を実施致しました。
好天にも恵まれ、毎年恒例の手慣れた作業で、あっという間のリフォーム完了です!!
板張りは涼しくて気持ち良いですよ~ 合掌
曹洞宗の御本山永平寺の御開山道元禅師様に、一人の年老いた尼僧様が仕えておりました。その方は、むかし身分のある御婦人であったようで、いまのご自分を卑しんで、何かといえば、人に対して「昔は身分のある婦人であった」と話され、周りの人にそのように思われたいと考えていたようです。
私達も、その様に人に良く思われたいという気持ちがあるものですが、道元禅師様は、「詮なき事」「何の役にもたたない、全くいらないことだ」、と示され、戒めておられます。
愚癡とは口に出していう言葉のことと思いがちですが、昔はその人の生き方を指していたようです。
漢和辞典を開いてみると、「禺(グ)」が、さるに似たナマケモノの形で、下に心ですから、「心の働きが鈍い」という意味を表すそうです。
ぐちの「癡」は、人が病で寝台にもたれる形を表し、「物事にうまく対応できない病」おろかの意味を表すそうです。
私たちは、自分の思い通りにならい時や、自分の都合に適わない事などがあると、ついつい愚痴を言ってしまいますが、言葉はそのままその人そのものですから、「愚痴なる人」にならぬよう、お互いに気を付けたいものです。
禅昌泰賢
「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」???
さて皆さん、日本の故事・ことわざでもよく知られる言葉ですが、このことわざの意味や由来をご存知ですか?
【意味】これらの花(アヤメとカキツバタ)は、とてもよく似た美しい花であり、区別することが困難なことから...
①どちらも優れていて、選択に迷う(優劣が付け難い)ことの喩え。
②主に女性の美しさ(何れ劣らぬ美人)に比喩される。
【由来】平安時代末期の武将・公卿・歌人である源頼政が怪しい鳥を退治した褒美として、側室となる”菖蒲前”という美女を賜る時に、十二人の美女の中から選び出すように言われて詠んだ歌が由縁となっています。
このことに関連して、よく似ていて区別が付かない!?と言えば、菖蒲(アヤメ)と菖蒲(ショウブ)があります。
実は、漢字で書くと全く同じで区別が付かないんですね...
ですが、上記のことわざ(アヤメとカキツバタ)とは相反して、アヤメとショウブは漢字が同じでも全く違う植物なのです。
【種別】アヤメは、『アヤメ科』の植物で、ショウブは『サトイモ科』の植物になります。
【語源】ショウブの葉がアヤメの葉に似ていることから、アヤメの漢字(菖蒲)とショウブの漢字が混同されてしまった!?
余談ですが、5月5日の子供の日(端午の節句)に厄払いとしてお風呂に入れる花菖蒲(ハナショウブ)は、アヤメ科の花ですので、「ショウブ湯に入る。」と云うのは、少し矛盾がありますね。。。※実際には、私も含めて皆さんアヤメ湯に入っているんですね(笑)
見た目の違い(見分け方)をごく簡単に説明しますと、花基部(花弁の元)に、花菖蒲は黄色、杜若は白、菖蒲は網目状の文目(あやめ※語源との説あり)模様が、それぞれあることで区別ができます。
最後に(これが一番言いたかったことなのですが)、禅昌の本堂傍にある小池に今年も奇麗な紫色の花が咲きました。
※答えは申しませんので、皆さん実際に花基部を近くでご覧いただいて、ご自身で判断してみて下さいね。
長くなりましたが、皆さんに少しでも興味を持っていただければ幸いですので、これからもよろしくお願いします!!
「はじめまして!禅昌寺のマスコットこと、カープ大好き”ラッキー”でーす!!
僕が応援すると、カープはいつも勝つ(逆転、連勝する)ので、三連覇すること間違いなしです!!
みなさん、ぜひ禅昌寺に会いに来てくださいね~」
合掌