今月の法話

[0004] 生命を育む『子育てに悩む人は多い!』 (2004/04/28)


 近年子供が学校に行けないと言う話を良く耳にします。
 いわゆる「登校拒否」とか「不登校」とか言う言葉は、私などの子供時代には無かったように思います。全くなかったとは言えませんが、少なくとも社会問題になるほどの問題では無かったように思います。
 小学校低学年から始まり中学高校生と、年々増える傾向にあり大きな社会問題となっています。困り果ててお寺へご相談にお越しになる方も多くあり、人ごとでは無いものを感じております。

 色々のお話を伺って、その原因が家庭に有ると考えられるものは、叱られ恐怖症・過干渉などと言われます。家庭外の学校等に原因があるものとして、いじめ・勉強について行けなくて起こる、無気力などです。
 子供社会だけの問題ではなく30代前後の大人になっても出勤恐怖症・対人恐怖症・無気力症候群などと言った引きこもり現象が蔓延しつつあることを他人事と済ませられないように思います。
 国民の大多数が貧しかった頃には、助け合い思いやる人情が、人々に当たり前として有ったことを思うと、豊かさとは何で有るかを考えさせられます。真剣に考えてみなければ日本の未来は無いと思うのは、私だけではないでしょう。
 一方で食品表示の偽装・原子力発電所の安全管理義務違反・バブル経済を煽った銀行の経営責任・行政の怠慢や場当たり的な政治の貧困などを生み出した根底には、多くの国民の「事なかれ主義」「傍観者的生き方」に起因するところが多いのではないかと思います。大人のこうした生き方が子育てにも影響を及ぼしているようにも考えさせられます。このような社会を作り出した私達にも、責任の一端が有るのではないでしょうか。

 仏教から学ぶ生命のいとなみと申しますと、自分一人の生命をいうのではなく、自然と共にある自分、社会と共にある自分「これを生かされている生命」と申します。
いま私が「生命を育む」と申します私の生命のいとなみとは、大自然のいとなみと、共に生かされている生命をいうのです。
 私が真正面から出会った少年達の多くは逞しく一生懸命生きております。
 ある父親(44歳)の死は、長男高校1年生、長女中学2年生、次男小学校5年生の時、突然の死でありました。
 また一人の父親(42歳)は、とても逞しく健康な人でしたが、僅か2週間の煩いで急逝し、兄小学6年生、弟小学3年生、遺児となったこの少年達は父親の四十九日法要迄には、般若心経・修証義が私同様に読めるようにもなり、母子家庭となった悲哀は微塵もなく逞しく生きる姿に、この「生命のいとなみ」は、彼等の何処に潜んでいたのかと、不思議を感じる程立派に成長され社会人として生きております。
 彼ら5人中3人が結婚し子供を授かり今一生懸命に、子育てを模索している姿に潤いを感じます。

 逆境が本来の自己に目覚め、真実の愛の絆を強くし、思いやりの心を開眼し、生かされている真理に目覚めさせ、自分たちの努力で、いかなる困難をも乗り越える知恵と力を授かっていることを知り、自然の恵みと人々の巡り合わせる勝縁に感謝していることでしょう。
 その生き様を模索し自信を持って我が子に示してくれることを祈っています。住職40年の経験の中で、幼いとき私と出会って、仏事法要にこまめに参加し和尚との交わりの深い子供達に問題児はいなかったように思います。

<Back|Top|Next>
このシステムはColumn HTMLカスタマイズしたものです。