今月の法話

[0007] 慈悲 あわれみ いつくしむ心を育む (2004/07/23)


 近年の、後を絶たない少年少女の残虐な犯罪行為や若い親の乳幼児虐待などの事件には胸が痛む。

  何故だろう
  どんな環境に育ったんだろうか
  両親はその子に
  如何に向き合っていたのかな
  お爺ちゃんお婆ちゃんは
  罪を犯した少年少女と如何に関わっていたのかな
  家庭に宗教はあったのかな
    報道によると普通の子だったと
    それなのに
  何故・何故・何故・何故だろう……

と人ごととは思われず、自分に問いかける。果たして私の日常に関わりのある社会で問題は無かろうかと考えさせられる。
 少なくとも私が住職をして四十三年の間に乳幼児期から、お爺ちゃん・お婆ちゃん、お父さん・お母さんと一緒にお仏壇に手を合わせている少年少女からは想像も出来ないことである。
 がしかし数年前から気になることがある。冠婚葬祭に宗教的儀式を避ける嫌いがある。そのもとには宗教家の側に問題があることも大いに反省しなければならないが。
 法事の席に子や孫の参加が少なくなりつつあることだ。
 仏教は慈悲の教えだと言われる。自然の恵みや人々との出会い、事事物物との出会いの中に、生かされて生きる生き方が慈悲の教えである。
 御仏の衆生をあわれみ、いつくしみの御心に抱かれて生かされている、己れに気づくことなく過ごす人が多くなりつつあるように思う。
 法事や通夜の席に青少年を見つけると、この時とばかり「仏の慈悲に抱かれて生かされている、あなたの魂に目覚めて!」との問いかけに真剣な眼差しで「なに・なに・なに?」疑問符の眼差しが返ってくる「あなたの命は地球上の最初の生命が生まれて以来一度も絶えたことのない命が、今あなたとして生かされているのよ!」「エッそうなの!」「だから今日九十年の生涯を閉じたお爺さんは……」「今年三十三回忌を迎えたあなたが生まれる前に逝ったお婆ちゃんは……」「貧しく困難な時代をあなたや子孫の命がこの世に生かされて自分らが適えられなかった事を実現してくれることを信じて生き抜いて来られたのだよ!」「アッそうだったのか!」とうなずく少年達の輝く眼差に、少しでも多く出会えることを願っている。

金子みすずの詩集より「星とたんぽぽ」

  青いお空のそこふかく、
  海のこいしのそのように、
  夜がくるまでしずんでる、
  昼のお星はめにみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ。
  見えぬものでもあるんだよ。

  ちってすがれたたんぽぽの、
  かわらのすきに、だァまって、
  春のくるまでかくれてる、
  つよいその根はめにみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ。
  見えぬものでもあるんだよ。

 第二次世界大戦後核家族化が進む過程で、互いに敬う、気遣う思いやり、お陰様でと言った日本人の美意識が損なわれて来たように思う。
 現代の殺伐とした社会はこの詩が訴えている、見えない物を大事にする心を忘れてきたことに原因があるのではなかろうか。

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