今月の法話

[0008] 音に惹かれて (2004/11/04)


 秋になると虫の音に惹かれて無性に懐かしくなる音がある。私にとって、聴いていて一番安らいだ音はと言えば、幼い頃の朝、ふとんのなかでうつうつしながら聴いた、寝ている部屋から三部屋向こうの台所から聞こえてくる、母が「トントント・トントント・トントント」と野菜をきざむ包丁がまな板を打つ音である。
 日本は戦中戦後の激動する時代だったが、この音を想い出すと当時の朝ご飯の麦飯や味噌汁のにおいまで鮮明に甦る。
 今の時代の子ども達は家庭のどんな音やにおいを感じているのだろうか。とこのように音を意識してみると考えさせられることが多い。
 四十二年前(昭和三十七年)私が禅昌寺に住職した頃、寺は広島で一番の歓楽街「薬研堀」に在って、戦後まもなく建てられた仮住まいだった。若干二十五才の私はこれから伽藍の復興をしなければならない夢を描きながら、早朝よりお勤めを始めたのだったが、近所の住人から「早朝から鐘や木魚」の音がうるさいと抗議された。
 昭和四十年四月今の東区戸坂くるめ木の高台に伽藍を移して復興した。この頃はバス停の酒屋から寺まで約二百メートルは家がなく、お店の人が寺から聞こえてくる、鐘や太鼓・木魚の音に長閑さを感じていたようであった。
 昭和五十五年に現在地に再び移転することになった時、既に住宅街となっていたご近所の方々が、お寺から聞こえてきた鐘や木魚の音、坐禅会の日の太鼓や板の音が聞こえなくなると淋しいと言われた。
 数年前町内の交番から来てくれないかと電話があって訪ねると、ご近所から(約百メートルは離れている)「毎朝五時五十五分になったら寺から聞こえてくる太鼓や鐘の音がうるさい」と電話が有った旨伝えられた。「警察としてやめなさいと言える問題ではないが、迷惑を受けている人があることを伝えておきます。」ということであった。
 同じ音でも環境や聴き方によって天と地の差が有ることを知らされた。
 最近気になる音に、電車やバスの中で辺り構わず、大声でしゃべる中高校生やおばさん達の声がある、何か抑圧された物を晴らさんばかりのしゃべり方である。
 ある時新幹線の中で二人の中年女性が、その車両一杯に響くおしゃべりをしていた、居合わせた乗客の多くがしかめ面をして彼女たちに視線を送るのであるが、その無言の抗議に気がつかないのである、そこですぐ前の席にいた私が「貴女がた少し小さい声でお話になったら如何・・・」と勇気を奮って言ったのだが、今度はまったくしゃべらなくなって下車して行った。一言言った私も後味の悪い思いをしたことがある。
清音は魂を澄ませてくれる
 もう十年くらいになるが、ほとんど毎朝坐禅に来てその後一時間くらい、早朝坐禅のない週末には朝食時間頃に来て、時にはお昼近くまで尺八を吹いて行く人がある。寺の下の道を散歩中に聞こえてくる尺八の音に惹かれて上がってきて立派な伽藍や境内に魅せられて、檀家になった人、坐禅会に来始めた方もある。
 この尺八の音は伽藍と境内の静寂を一層幽玄へと誘ってくれる。尺八の音を毎日のように聴いていた私が、ある時ホテルでのパーテーの席で、エリザベト音楽大学教授大代啓二先生のフルートの演奏を聴いて「このフルートを禅昌寺の本堂で聴かせてほしい!」その素晴らしい音色に惹かれて、「Tsukimi in 寺」の演奏会を、平成十三年秋より始める事となった。
 四回目の今年は去る十月二十三日フルートとチェンバロのコンサートであった。三才の幼児から九十七才の高齢者まで、約三百五十人の聴衆が集い感動の一時を共有出来たことは、「音と人の共鳴」であった。聴衆は口々に有り難う、有り難うまた来年を楽しみにしていると月光の下家路についた。
 NPO法人「松笠山の会」、座禅会、檀家の方々のご奉仕で会場設営、音響設備、照明設備、交通整理と手作りの奉仕で無事に終わって関係者一同随喜の一日であった。
 清音は、心を蘇らせ、人を招き、共感を覚え集う人の心を澄ませてくれた。境内が人々の歓喜に溢れた一夜であった。

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