今月の法話

[0015] 続・ガンと同居となった この五体をどうしょう! (2006/10/26)


元気印の私もほんの初期の癌とはいえ全身麻酔での手術の影響か、甲状腺を半分切除したからか、古希に相応しい体力となったようで、そろりそろりと活きたいと願っている。明日は貴方かもしれないから……
参考になればという思いで綴ります。


 皆さんのアドバイスを素直に受け入れて五月七日(日曜日)夕刻入院、五月八日(月曜日)手術することとした。
 入院手術に当たって四月二十六日(水曜日) 手術前診察により心電図・血圧測定等健康チェックと手術の説明があり、手術の結果「反回神経麻痺」を起こすこともある、その時は元の声は出せなくなる恐れがあることなど細かい説明があった。
 この時、手術を執刀する四十代半ばの医師が、手術を前にして不安であろう私を、安心して手術に望ませようと気遣った一語一語に配慮された言葉のなかに、「悪いところを取ってしまえば、後は天寿を全うできますよ!」とまじめに説得力のない、決まり文句を聴かされたような気がして、からかい半分に「天寿って明日死んでも天寿でしょう……」「そりゃそうですね」とおろおろさせてしまった。純ならない患者と思ったに違いない。
 五月六日(土曜日)グランドピアノの寄贈をうけて、百人程の客を招いて披露のコンサートとワインパーティーを開いたその席で、明後日は手術「二度と歌は歌えなくなるかもしれない」という思いから「孫たちにおじいちゃんの歌声を聴かせておきたい」という万感の思いをこめて「赤とんぼ」「故郷」を歌った。普段は音痴な私ではあるが「最後かもしれない」と言う思いが、眠っていた魂を揺らせたのか? お世辞なのか喝采を戴いて、翌七日午後七時に入院し五月八日(月曜日)無事に手術は終わった。
 幸いに声の発生を左右する反回神経への影響はほとんどないほど手術の結果に安堵した。   
 入院は連休の最後の日とあって病棟は閑散としていた。病室は二人部屋であったが、金曜日まで術後の痛みで苦しい間私一人で助かった。たぶん婦長さんのご配慮があったことを感謝している。


わずか十日の入院で多くの事を学んだ。

 食事は献立の気配りが伝わってくる、薄味でどれもみな美味しかった。しかしそれを食い散らかし、投げやりに食した様子が分かるような食べ方をする人、折角出されたお粥には手もつけないで、買ってきたカップラーメンを食べている人には驚いた。
 曹洞宗の食事作法「五感の偈」の四番目に「四には正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり」とあるように、三度三度の食事を嗜好として戴くか健康を養う「良薬」として戴くかによって健康には大変な違いであると思う。
 さらに思ったことは病院に病人がいることは当たり前だが、考えさせられることがあった。病気と病人は別だと思ったことだ。
 術後の痛みの激しいときは気づきようもないが、術後三日もたてば痛みは薄れてきて病院という暗さが気になる。その中で看護士たちが一生懸命に明るく振る舞うように優しくいたわってくれる一語一語が伝わってくる。病に対する不安のあることは誰も同じであるが、不安を募らすあまりに投げやりな姿勢が気になった。心も体も病んでくると病人となるのだと思った。死んで元々であるならば、せめて今日一日を精一ぱい活きようと生きる気力が明日を迎えてくれるように思った。病は気からという意味を励みにしたい。
 明日に望みをかけて戴く粥は薬にもなろうが、気を病んでしまうと薬にもならないように思った。


ホームドクターの選び方

・患者の疑問に具体的に納得のいく回答をしてくれること。
・患者の健康管理を任されているという、全身にわたり診察をしてくれること。
・「年だから仕方がない」等と言って患者の病気に対する訴えを真剣に受け止めようとしない医者は避けること。
・良い医者とのつきあいは健康な時から時々健康チェックをしてもらい、貴方の体をよく理解してもらっておくこと。

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